大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和56年(行ツ)26号 判決

東京都世田谷区経堂二丁目二十七番十八号

上告人

大塚喜啓

右訴訟代理人弁護士

安田叡

坂本福子

東京都世田谷区松原六丁目一三番一〇号

被上告人

北沢税務署長 山野壽

右指定代理人

古川悌二

右当事者間の東京高等裁判所昭和五四年(行コ)第一六号課税処分等取消請求事件について、同裁判所が昭和五五年一〇月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部放棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人安田叡、同坂本福子の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決拳示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう部分を含め、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立つて原判決の違法をいうものにすぎず、いずれも採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文とおり判決する。

(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 谷口正孝 裁判官 角田禮次郎 裁判官 高島益郎)

(昭和五六年(行ツ)第二六号 上告人 大塚喜啓)

上告代理人安田叡、同坂本福子の上告理由

第一 原判決は、質問検査権の行使に関する所得税法二三四条の解釈につき、重大な誤りをおかし、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背がある。

我が国では、憲法八四条において、租税法律主義を規定している。この租税法律主義の原則からみる時、所得税法二三四条の質問検査権には自づと法的限界が存在する。

一 質問検査権行使の法的限界

原判決は、同条について、「もつぱら税務署長の右決定若しは更正のために必要な資料を収集して租税の公平確実な賦課微収を図ることを目的とする行政手続き」であるから「刑事責任を追及するものでない」として、最高裁判所昭和四七年一一月二二日大法廷判決を引用し、「当時調査の目的、調査すべき事項、申請・申告の体裁、内容、帳簿の記入・保存状況、相手方の事業の形態等諸般の具体的事情にかんがみ、客観的な必要性があると判断される場合には……質問検査の範囲、程度、時期、場所等実定法上特段の定めのない実施の細目については、右にいう質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまるかぎり、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられているものと解すべく、……実施の日時場所の事前通知、調査の理由および必要性の個別的具体的告知のごときも、質問検査を行ううえの法律上一律の要件とされているものではない」ことは、最高裁判所決定、(昭和四八年七月一〇日第三小法廷決定、形集二七巻七号一・二〇五頁)の示すところである。

いま、本件についてこれをみるのに、原審証人原進午の証言によれば、被控訴人が控訴人提出の本件係争各年分の確定申告書を検討したところ申告にかかる所得率が事業規模の類似する同業者のそれと比較して過少であり、また、控訴人に関し収集された取引資料の内容からみて、申告にかかる収入金額の過少であることが疑われたため、職員を派遣して、控訴人に対し質問をし、帳簿書類の提示を求めたものであることが認められるから、質問検査を行う客観的必要性があつたものといわなければならない。と判示する。

しかしながら、原判決が判示する、最高裁判所大法廷昭和四七・一一・二三判決においては、質問権査権と憲法三五条同三八条の関聯について、同条が、憲法三五条、同三八条に直接違反するものではないとしつつも、

「憲法三五条一項の規定は、本来、主として、刑事責任追及の手続における強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断されることは相当でない。」「憲法三八条一項の法意が、何人も自己の刑事上の責任を問われるおそれがある事項にいて供述を強制されないことを保障したものであると解すべきことは、当裁判所大法廷の判例(昭和二七年第八三八号、同三二年二月二〇日判決、刑集一一巻二号八〇八頁)とするところであるが、右規定による保障は純然たる刑事手続においてぱかりではなく、それ以外の手続においても、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続には、ひとしく及ぶものと解するのを相当する」。

と判示し、憲法三五条、同三八条は刑事手続のみならず行政手続にも適用されることを判示している。即ち、質問検査権の背景には、憲法三五条、同三八条が存することを示している。「質問検査権」は相手側(納税者)が応じない場合は、実力を強制し得ないものであり、あくまでも任意の調査を規定したものである。しかし、同時に、本質問検査権は同法二四二条八号との関連において考えなければならない。即ち課税処分のための質問検査権の行使は、被調査者の同意を前提とする任意調査であるが、被調査は調査の受忍義務を負い調査に応じないときは刑事裁判をうける。質問検査権の行使に対し、正当な理由なく調査を拒みあるいは妨害すれば、所得税法二四二条八号によつて刑罰が課せられることとなつているのである。従つて質問検査権は、任意調査とはいえ、質問検査権を行使される者に対しては、心理的な圧迫を加えるものであり、間接的には刑事罰を規定しているものである。前記昭和四七年一二月二二日の最高裁大法廷判決が間接的に憲法三五条、同三八条が行政手続にも適用されることを示唆していることからみれば、このような間接的に刑事罰をもつて納税者を心理的に圧迫する質問検査権はまさにこの最高裁大法廷の示唆するところに該当するものであり、それ故に同条の要件は厳格に解されねばならないのであり、ここに法的限界が存するものと言わねばならない。にもかかわらず、原判定は、最高裁大法廷判決の憲法三五条、同三八条が刑事手続規定に関するものであるとの部分のみ引用し、本件と関聯ある部分について独断で捨象してしまつている。

従つて、原判決は、自ら引用した昭和四七年一一月二二日の最高裁判決にすら抵触するものと言わざるを得ない。

そして、最高裁第三小法廷の「権限ある税務職員の合理的な判断に委ねられるべく……」とした決定を引用し、本件質問調査を適法となしている。勿論、「税務職員の合理的な判断」とはあくまでも「合理性」即ち、客観的必要性が要件とされるものであり、税務職員の個々的判断に基づくことは許されないのである。前記最高裁第三小法廷決定の理論は質問検査権の法的解釈を誤つているものといえるが、右判例においても何が「合理的」であるかの判断基準は示されていない。原判決は、税務職員の単純な判断に質問検査権行使の是非を委ねており、この点において質問検査権の法理上の解釈を誤つている。

二 質問検査権行使の対象

(一) 質問検査の対象として、法二三四条によれば、「納税義務がある者」、「納税義務があると認められる者」、「その他……」を規定している。言うまでもなく、所得税は納税者の確定申告によつて確定されたものである。

このような申告納税方式をとる以上、納税者の申告がまず尊重されねばならぬのは当然である。従つて納税者の申告による原則を覆えし、国が例外的な確定方式で更正・決定を行うには質問検査権をおこなうそれ相当の合理的な根拠ないし必要性がなければならない。このことは同条が「所得税に関する調査について必要があるとき」と規定していることからも明白である。

(二) 原判決は、前述のように、質問検査権行使にいて「権限ある税務職員の合理的な選択……」ということを前提としたうえ、「申告にかかる所得率が事業規模の類似する同業者のそれと比較して過少であり、また控訴人に関して収集された取引資料の内容からみて、申告にかかる収入金額の過少であることが疑われたため……」、税務職員が調査に赴いたものであり、質問検査権行使の対象となるとしている。

しかしながら、収入金額が過少という認定の根拠は、単に税務職員の「事業規模の類似する同業者からみて、過少であるということ、収集されている取引資料からみて、うけが過少である」という一言のみを調査の必要性あり、との、どの程度過少であつたかは何ら具体的証拠が示されておらず、具体的にのべられていないのである。もし判決が調査の対象を必要とするというのであれば、右原証人の証言の一言のみを証拠として採用することは具体的な証拠に基づかないものと言える。

(三) 又、「必要性」と「対象者」は、各個別的に判断されることが前提である。この基準としては、〈1〉納税者の前年度あるいは前々年度との比較、〈2〉各事業の景気の動向、〈3〉あるいは事業規模のほぼ同一な同業者との比較等からして、調査をするかなりな必要性が存することが要件とされる。原判決は、単に、「申告にかかる所得率が事業規模の類似する同業者との比較」と上告人に関し、「収集された取引資料の内容」ということのみをもつて、上告人が質問検査権行使の対象者となり、又その必要性かあつたと認定している。

〈1〉 しかしながら、「類似の同業者とのに比較」と称するが、この点についてまず同業者の氏名・住所は全く明らかにされていない。しかも被上告人側で揚げられている同業者とは何れも青色申告者である。そして住所・氏名も明らかにされていないのであるから、立地条件、店舗経歴等はもとより明白でない。商売の経営については、まず、立地条件が大きな問題となる。どんな商売でも立地条件によつて客足は異なるからである。又店舗を開店してからの年数――これによつて顧客のつく程度も異なつてくる。それを単に「所得率が事業規模の類似するそれと比較して過少であり……」との認定は、余りにもずさんなものと言える。即ち、原審裁判所においても、被上告人の言うところの比較した同業者が各々どのような立地条件に存し、又、どのような店舗歴をもつかは、全くわかつていないのである。原判決は不当に質問検査権の対象の範囲を拡大したものであり、又その必要性については客観的合理性を欠くものと言わなければならない。

〈2〉 本件についてその必要性をみれば、課税処分の対象となつた昭和四一年度(甲第二号証の一、二)昭和四二年度(甲第三号証の一、二)昭和四三年度(甲第一号証の一、二)は、前年度(甲第三〇号証の一、二)及び前々年度(甲第三一号証の一、二)と比較し低くなつておらず右証拠より明らかなとおり、上告人の売上げが序々にではあるが店が定着してきたところから、のびている実態を如実に示している。客観的にみて、上告人の申告は妥当という以外ない。課税対象額がやや低下しているのは、昭和三九年度は弟と二人でやつており、控訴対象者としては弟の専従者控除のみであつたものが、昭和四〇年度において上告人は結婚し、しかも実母を扶養するという状態から扶養控除を受けるようになつたため控除額に相違が生じたことによる。

〈3〉 又、当時の自転車業界の推移をみれば、昭和四一、二年頃はバイクが流行し、自転車業界は不振であつた。このことは、日本自転車工業会から発行された「自転車工業の概観」(甲第三三号証の一、二)をみれば客観的に明白である。即ち、昭和四〇~同四三年度は、生産台数、出荷台数は低く、同四四年度に至つて出荷台数が生産台数をこえ、又生産台数は昭和四七年度以降急速な伸びを示している。原判決は、上告人がバイクを扱つていたことを強調しているが、その仕入総額は、昭和四一年度は二パーセント強、同四二年は一五パーセント強、同四三年は九パーセント強にすぎない。これからみても、上告人の店の経営の主体は、殆ど自転車であつたということが認定されるのである。

以上のような客観的事情から判断しても、質問検査権行使の対象とはならないものであり、原判決の認定は誤りである。

三 質問検査権の行使について

(一) 質問検査権の法的限界は、厳格に解されねばならないことは前述のとおりである。即ち、質問検査権は、所得税法二四二条八号と常に関聯されて解釈されなければならず(同旨東京地裁昭和四四・六・二五判決、千葉地裁昭和四一六・六・一・二七判決)、行使にあたつては客観的に合理的必要性ありと判断されねばならない。従つてその行使に際して「調査の目的」「調査事項」「調査理由」の必要につき、税務職員は相手方に通知をなし、又理由をせねばならず、これがなされず行われた調査は違法である。

1 「事前通知」

質問検査権行使の事前通知については、「質問検査権の行使は調査対象者の営業活動、あるいは私生活の平穏に多少とも影響を及ぼすものであるから、税務職員としては事前に通知をなしたうえで調査に赴くことが望ましい」

(東京地裁昭和四三・一・三一判決)とされ、事前通知についての明確な法規定は存しないが、被調査者の私生活や営業をできるだけ妨げないようににするために調査の事前通知を出すことがのぞまれるものである。本件についてはこのような事前通知は一切行われず、突如税務職員が臨店したものである。

2 質問検査権行使の態様=合理的な理由開示の必要

(1) 質問検査権行使の様態にいて、「調査にあたつては、調査は相手方が要求する限り調査理由は開示すべき」とされ、調査というのは「相手方の承諾を得てする調査であることからしても(承諾を与えるためには何を質問し何を調査するのかが特定されなければ承諾の与えようがない)当然である」とされる。即ち、質問検査権は基本的には任意調査であることから、当然被調査者の任意の回答をまつものである。と同時に任意調査とはいえ前述のように二四二条八号との関聯において、刑事処分をともなうものであるから慎重にされねばなばならない。

本件調査の態様は、質問調査権行使の範囲を逸脱したものである。調査にきた税務職員は、「昭和四一年度の調査に来た」ということのみで「帳簿書類の全部をみせろ」といつたことについては上告人方に調査に臨店した原税務職員も第一審法廷において証言するところである。(第一審第八回原証言速記録五丁以下)。

第二回目の上告人店への来店にあたつても、「四三、四二、四一年分の帳面を全部出せ」ということで、何のために示す必要があるかという点については一切示していないのである(第一審本人供述)、この点につき原審判決は、「昭和四三年分の所得税の調査のため臨店したもので、調査は必要に応じて昭和四二年分以前にさかのぼる旨告げて、帳簿、書類の提示を求め、仕入先を質問したこと、調査の理由及び必要性について控訴人(上告人)の申告にかかる所得金額が正確かどうかを確認するためのものであると説明したから……」として被上告人の調査を適法と確認している。しかし、事実関係について「帳簿を全部みせろ」とのべて帳簿の特定もせず、単に「所得金額が正確かどうか」ということを調査にきたと告げるのみで、背後に刑事制裁手続きをもつた質問検査権の行使が適当ということは、この質問検査権の行使の様態の解釈について明らかに誤つたものと言わねばならない。

質問検査権の調査者の「事業に関する帳簿書類その他の物件」にかぎられ、事業に関係のない帳簿書類等は調査の対象とならない。逆にいえば税務署職員は検査を求める帳簿については法に規定する帳簿に特定せねばならないのである。

(2) 調査にあたつては、いわゆる調査理由ないしは、調査の範囲が開示されねばならず、その場合には一般的概括的な調査理由ないしは調査範囲の説明では不十分であり、法は具体的特定的な調査理由ないし調査範囲の説明を要求しているとされる(北野弘久、杉村古「税法学論文集)一七頁、三晃社、「法律時報」昭和四五年三月号二〇頁、「税経通信」昭和四七年三月号五四~五五頁、「時の法令」七四四号二〇頁、新井隆一「税法学」二三二号三五頁参照)。

もし、原審判決の示すように、申告者の所得金額が正確か否か調査に来たということのみで、五年も前にさかのぼり関聯する帳簿を全部みせろということは、法解釈の面から許されるものでない。

四 違法な質問検査権の行使の法的限界をこえた場合

質問検査権の行使が、その法的限界をこえた場合、即ち違法な調査に基づいて課税処分が行われた場合、その課税処分が適法か否かが問題となる。憲法は、三五条、同三八条が直接的には刑事に関する規定であるが行政手続にも及ぶべきことを示唆した前記最高裁大法廷の判決の趣旨に照しても違法な質問検査権に基づいてなされた処分は無効なものといわねばならない。

五 調査対象となつた暦年について

原判決は、「昭和四五年に至り昭和四一~四三年の所得税の調査」は所得税は「原則として確定申告期限から三年を経過した日以後は増額の更正を行うことはできないとされているが、(国税通則法七〇条一条、所得税法一二〇条一項参照)その反面において、右三年の期間内においては、増額の更正をすることができる」ということから違法としていない。しかしながら、質問検査権は、正当な課税標準、税額等を確認するために行うためのものとして制度化されているのである。この趣旨からすれば、この確認のための必要性ということにならずを得ず、課税標準は税額等の確定についての課税期間が法定されていることからみれば納税申告、更正決定、賦課決定は課税期間毎に行われるものであるから調査も、この課税期間毎に行われなければならない。この点について、昭和四五年に至り、昭和四一年度、同四二年度、同四三年度の調査を適法とした原判決は質問検査権の規定を拡大解釈しているものである。

第二 原判決は、事実認定において、理由齟齬、理由不備があり、判決に影響を及ぼすこと明らかである。

一 原判決は、質問検査権行使の対象として、「申告にかかる所得率が事業規模の類似する同業者がそれと比較して過少であり、また控訴人に関し収集された取引資料の内容をみて、申告にかかる収入金額の過少であることが疑われたため……」質問検査権が行われたことの適法を認定しているが、事業規模の類似する同業者と比較して、どの程度過少であり、又「控訴人に関し収集された取引の内容からみて……」とのべるが、どのような資料が収集されたものかは全く明らかにされていない。この点を裏付ける証拠は、第一審における調査に臨店した税務職員原証人が、「大塚さんの所得率は事業規模の類似する同業者から見て過少であるということ、収集されている取引資料から見て、うけが過少であるということを記憶しております。」との、ただこれだけの証言をもつて調査の必要性を認定しているのである。しかも、上告人の「過少申告を疑うに足りる相当な理由がなかつた」との主張に対しては、「仮に右主張の根拠として挙げる事実が存したとしても、そのことから直ちに過少申告を疑うのは相当でなかつたということはできない」と認定し、上告人の主張を一切退けている。右に示される原判決が上告人の主張の根拠として揚げる「事実が存しても」「過少申告を疑うのは相当でなかつたということはできない」ということは、一体いかなる理由をもつてこのように言えるのであろうか。そこには何ら具体的理由が示されていないのである。この点において原判決は明らかに理由不備といえる。

二 又、本件調査が行われることによつて、「その営業の自由や生活等の私的利益を損われる特段の事情があつたものとは認め難い本件において叙上のような態様の質問検査を目して、社会通念上相当の限度を越えたものと断ずることはできない。」と認定しているが、どのような理由をもつて「社会通念上相当の限度を越えたもの断ずることはできない。」と判断しているのであろうか。

即ち、本件は、事前通知もなされなかつたことは、被上告人も認めるところであり、昭和四五年一月二七日午前一〇時過ぎ突然税務署職員が臨店して、四三年度の所得税調査に来たことを告げているのである。午前一〇と言えば店の付近は静かであり、しかも上告人のせまい店(甲三二号証・間口二間、奥行二間半)に二人が入りこんだのである。これまで上告人は一度も税務署の調査をうけたことなく、勿論職員が臨店したことはない。少なくとも上告人の心理は圧迫したことに他ならないのである。このような事実にふれず、単に抽象的に「社会通念上相当の限度を越えたものと断ずることはできない。」とした原判決は、理由に不備があり、判決に影響を及ぼすべき重大な誤りがある。

第三 原判決は、本件において、推計による更正をすべて是認した点において、法令解釈適用に誤りがあり、判決に影響を及ぼすこと明らかであるので破棄さるべきである。

一 わが国における所得税の自主申告納税制度は、憲法における国民主権に基礎をおき、租税制度においてこれを実定化したものに他ならない。

しかして、国税通則法一六条にその根拠をおく国税における申告納税方式の場合、税務署長が申告の税額が法律の規定に従つていなかつたり、その調査したところ異なる場合においてのみ、これを否認することができるものとし、同法二四条は、これを具体化するものとして「更正」処分を行い得るものとする。

ところで、所得税法一五六条では、白色申告者に限り推計による更正を許容している。

しかしながら、憲法三〇条、八四条の規定する租税法律主義の下申告納税制度を本則とする所得税において推計による更正が是認されるにはその要件も厳格に解されるを要するのである。

二 しかして、推計課税の要件として、その必要性及び合理性の具備が必要であり、この必要性としては、

〈1〉 帳簿書類が存在しない。

〈2〉 帳簿書類が不備で信頼できない。

〈3〉 調査に対し納税者の協力が得られない。

の各理由が必要性充足の一般的要件として説かれるものがある。原判決は、おおむね一審判決を引用しつつ更に売上げについての追加計上分を殊更に指摘し、帳簿の不正確、更に非協力を推計の必要性ありと判断する根拠としている。

しかしながら、ここで白色申告者に対しては帳簿の具備その記載の方式その中味のあり方等について何ら法令上の規制もないのであり、いわば個々の納税者の創意と努力にゆだねられているものと解する他ない。

従つて、右要件にいう「帳簿の不備乃至不正確」というもの、いかなる内容のいかなる形式のものがどの程度までととのつていれば合致するものと言えるのか、およそ判断の基準を欠くものと言うべきなのである。これを言いかえれば、個々の白色申告者の納税者が自己の創意努力によりいかに記帳努力を重ね、自己の所得の把握につとめようとも(所得自体租税法上の概念であり、かつ定義すら定説がない。)かかる抽象的要件のみが定立されていれば税務署側の恣意的な判断より、いかにようも否認できることになる。ここにいう帳簿とはなにか、不正確、不備とはなにかを問うて具体的な回答はあり得ないこと自明である。

ましてや調査非協力の概念においておや!

かくしては、租税法律主義、申告納税制度といつても、白色申告者の場合、重箱のスミをつつくような調査の仕方さえされれば、およそ自主申告額というのは形骸化し、税務署側の同業者比率等による推計額をのむ他はなくなること必然となるのである。この大きな矛盾、問題点は先にのべた抽象的要件が所得税法一五六条の誤つた解釈の下にひきだされたものである。

三 ここにはいまひとつのしぼりがなければ、申告額否認、推計による更正という行政処分の権限発動の根拠とすることはできない。これが濫用を許せば直ちに納税者、国民の生活権、財産権を侵害することとなり、租税法律主義を崩壊せしめることとなるからである。

結論をのべれば、

まず第一に、「調査非協力」なる概念は、帳簿書類の不備、不存在によつてきたる理由ないし事情であり推計による更正をなし得る独立の要件ではない(所得税法の諸問題、租税法の研究三九号一五二頁)。

第二に「帳簿の不正確、不備」とは、その不正確性によつて「一貫した合理性が全体として疑われる程度にまで達する場合」を指し、「乱雑不正確、虚偽等のため、それによりがたい特段の事由ある場合」とする判例(昭和三〇・四・二五、新潟地判行集六巻四号九四一頁)も、右の程度にまでしぼりかけたものと解されるのである。

「簿外の所得の存在が推測される場合」を指摘する判例(昭和五一・一〇・二八東京地判)も、とらえ方に若干のちがいはあるが、特段の事由を示すものとして注目すべき判示であり、一定のしぼりをかけたものとして正しい指摘とい得るのである。

実額による所得の把握というものは右は純然たる税法上の概念であり、金銭消費貸借契約上の元利金の計算などとは性質の計算、税額の計算は最大限努力しても一定の近い数値において申告するのが実際であり、実態であり、原判決並びに一審判決の認定態度の如き若干の売上げの不明分についての推計による加算、更に若干の得意先販売台帳と売上伝票の不突合のみを根拠として、納税者側の日々の記帳努力を水泡に帰せしめてかえりみないような認定態度、短縮した論理は、およそ所得税の制度並びに大衆課税の中での白色申告者の実態に無知であると同時に、申告納税制度による納税者側の記帳努力、計算努力を放棄せしめ、自主能力向上を求める行政目的に背馳するにつながる最悪といつてよい。

本件において、推計による更正を是認するべきか否かは、抽象文言に事例があてはまるかどうかの操作を机上で行うのではなく、原告本人の記帳結果のどの部分に過誤があるかを分析した上でその内容、性質、程度で原処分が維持できるかどうか、事例にそつて相対的に且つ具体的に検討するべきであつた。

原判決が引用する一審判決は、不突合等の細部(裁判官のいう不正確な部分の)を列するにすぎず、原告の記帳全体としての合理性を否定しさるにはあまりにかけはなれ到底原処分を維持するには足りないものと言うべきであつた。

判決に影響を及ぼす法令解釈の誤りは、ここにも明瞭にある。

第四 原判決は、本件の更正の合理性をもそのまま是認した。しかしながら、これは訴訟法上の採証方則違背する違法の認定態度であり、判決に影響を及ぼすこと明らかであり、破棄されなければならない。

一 被上告人税務署側は本件推計の合理性を立証するものとして、氏名も住所も隠蔽したままの青色申告同業者の差益率をもつてその根拠とし、課税庁側証人は一審での証言において、それらA、B、C等の符号名業者の立地条件、営業態様、創業時よりの年数等その類似性の有無を尋問するも何ら答えるところがなかつた。

署側証人は例外なく、右のような点については、とりわけ調査時で指示されていないし、分らないと答えている。

これらの証言態度は意識的な証言回避であり、かくして訴訟当事者が対等な立場にたつて合理性の有無を明らかにすることは全く不可能というほかはないのである。

合理性に関する立証責任は、署側にあり、これがまちがえば、ことは納税者側の生活権、財産権に関する。

こと合理性に関しても、署側は、報告書以外一切の納税者側尋問を回避し、報告書内容のみを信用せよという立証態度で終始し、何らこれをつくしていないこと明白である。しかるに原判決は、かかる立証態度をそのまま是認し、その合理性を認めている。

かかる認定態度は、著しく騙ぱであり、訴訟法上の大原則である採証法則に違背するものであり、判決に影響を及ぼすこと明らかである。

第五 原判決は、憲法が求める行政における比例の原則に違背し、憲法の解釈適用を誤るものであり破棄さるべきである。

一 即ち、憲法は、基本的人権の尊重を大原則として、第一三条において、国民の基本的人権、幸福追求の権利は立法その他国政上で最大の尊重を要するものとする。

行政権による国民の基本的人権に対する侵害は、公益上必要に基づくべきのみならず、その侵害の程度も公益上の必要の程度と適当な均衡を保つべきことが要請される。これが行政における「比例の原則」とよばれるものである。

しかして、本件においても、署側による推計による原更正の維持、原判決による原処分維持の判決は、右の比例の原則に違背て、到底許容されない。

なんとなれば、原判決は、上告人原告提出の得意先販売台帳並びに売上伝票の不突合、昭和四一年度売上げにおける各月三万円の加算、四二年度における月五万円の加算等の理由をもつて記帳全体の信憑力を欠くものとして、原処分をそつくり是認した。

しかしながら、台帳と伝票との不突合部分については、一、二審を通じ、解明できたものはすべて解明し、このことを供述にも明らかにし、三ヵ月中の総売上げ台数五四四台中二五台が不明に終つたのみである。

又、四一年中の売上げ額の推計による加算、四二年中の加算についても本人自身の営業上の実際の経験に基づき、より実態に近づけるための努力であつたことを明らかとし、事実審口頭弁論集結時までに、いかように不明部分とみるのは全体の売上げ額計算において全くきん少な額になつたのである(これとても訴訟に月日に経たなければ解明可能であつたと考えられる)。

このような場合、適正な行政権の行使としてみれば、部分的な修正の勧告等があつてしかるべく、そうでなくても再更正により原処分の一部手直しのみによつて妥当な結論と解決、つまり適正な課税権の行使が可能であつた。

しかる署側は、あくまでも原処分を維持し、合理性の何らの立証すらない同業者の差益率をもつてする推計による課税を強行しようとするのである。所得税課税の場において、納税者の生活権、財産権と、行政権の行使とは、相容れ難い矛盾が生じ得る。

ましてや、同業者の差益率による推計においては尚さらである。一、二審の審理を通じ、上告人は、あらいざらい原始資料も証拠として提出し、正当な課税権行使の限界がどこにあるかを問うたのである。そこで部分的な過誤修正があるとすればその是正をもつて、課税庁側は足りるはずである。あくまでも原処分を維持するとする課税庁側の態度は、更正を懲罰とでも誤解するものというべく、原判決のこれを是認した判断は、憲法が行政権力の行使に課する比例の原則に反するものであり、違憲違法たるを免れない。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例